[韓国情報]朝鮮の戦犯は「被害者」 韓国政府機関が名誉回復ウリは悪くないニダ

boutarou2006-11-14


(1)朝鮮の戦犯は「被害者」 韓国政府機関が名誉回復(ENJOY Korea)






朝鮮の戦犯は「被害者」 韓国政府機関が名誉回復(徳島新聞 )

【ソウル12日共同】
韓国の政府機関「強制動員真相究明委員会」は12日、 日本の植民地支配下で旧日本軍兵士となり、第2次大戦後、連合国側の軍事裁判でBC級戦犯として処罰された朝鮮半島出身の83人を「被害者」と認定、名誉回復を図ると発表した。聯合ニュースが伝えた。
 韓国政府機関が朝鮮半島出身者の戦犯とされた人の名誉回復を行うのは初めてとみられる。 同委員会は盧武鉉政権が進める「歴史の見直し」の一環として、強制連行などの実態を調査してきた。
 BC級戦犯は極東国際軍事裁判(東京裁判)で裁かれた戦争指導者(A級戦犯)と区別され、戦争中の捕虜虐待などの責任に問われた。
同委員会は83人について、強制的に動員された上に日本の捕虜虐待の責任まで負わされ、 二重の苦痛を受けたと認定。 英国に残る裁判記録の調査で、明白な証拠なしに有罪判決を受けた事例も確認したという。
 同委員会によると、BC級戦犯とされた朝鮮半島出身者は148人で、うち23人が死刑となった。 戦犯とされた86人の遺族らが調査を求めていた。 委員会は今回被害者認定されなかった3人も、今後の調査で認められる可能性があるとしている。


( ´∀`)「被害者面かよ.....」

(2)ではWW2で朝鮮半島出身はどのように見られていたか(保管庫より抜粋)


  • ■Tama大学学長 G・クラーク氏の言葉

元オーストラリア軍人の捕虜の殆どは、収容所の監視員だったChosun人に対する憎悪がある。
日本人は捕虜を殴る程度だった。
しかしChosun人は全ての陰湿で執拗な残虐行為を行なっていた。

これらのChosun人BC戦犯を擁護する行動を、日本の左翼がしていた事が信じられない。

http://www.ch-sakura.jp/bbs_thread.php?ID=137319&GENRE=sougou



  • ■オーストラリア人 ケニス・ハリスンの著書『あっぱれ日本兵』

※日本軍の捕虜となったオーストラリア兵の証言を抜粋

その日の最後に、Chosun人に会わされた。
Chosun人は(日本人と比べて)大型で、顔は平たく、知性で劣っていた。
そして日本人が与えた屈辱を我々に転嫁した。
どんなに試みても、彼らと本当の人間関係を作る事は出来なかった。
Chosun人は日本人よりも遥かに酷い体罰を行なった。
我々はChosun人が怖かった。


  • ■アカデミー賞を受賞した映画 『The Bridge on the River Kwai』



非常に有名な映画。
アカデミー賞を受賞。
日本では「戦場に架ける橋」の名で上映された。
この中で、日本軍が捕虜のイギリス人をリンチする話が出てくる。
しかし、資料を調べると…。
この収容所でイギリス人をリンチした人間は殆どChosun人だった。
しかも軍属(軍の仕事を請け負う民間の業者)だった。
戦後148名が罪に問われた。


  • ■中国人 謝永光の著書『日本軍は香港で何をしたか』

最初の数日間は平穏無事で、日本軍の姿は全く無かった。
ところが、ある日、突然5〜6人の動物のような兵隊が現れた。
そして麻雀をしていた4人の女優を強姦した。

(中略)
この男達はChosun人であった。
(中略)
香港占領期間中、多くのChosun人が日本の軍服を着ていた。
Chosun人は一般の日本人よりも背が高く、日本の正規軍よりも凶暴だった。
この時、民家に乱入して婦女暴行を働いたのは、殆どChosun人であった。
当時、香港住民は日本軍よりもChosun人を激しく憎んだ。

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4784503420/249-5125967-5001940

  • ■PARIS MATCH記者 A・スムラーの著書『日本は誤解されている』

※フランスの雑誌「PARIS MATCH」

日本人戦犯の責任を軽減するつもりはない。
しかし、占領地域で最も嫌われたのは、日本国籍を持っていたChosun人だった。


  • 『ミャンマーの人々はビルマの竪琴をどう観たか』

ミャンマー人「日本人兵より朝鮮人兵の方がきつかった
http://www.asahi-net.or.jp/~cr1h-ymnk/96-02-01.html




( ´∀`)「どこが被害者なんでしょうか?」

(3)ではコレを読み解くキーワードは


  • 古野直也著 『朝鮮軍司令部1904〜1945』(概略)

戦時中、3500人の朝鮮人が捕虜の監視をしていた。(おそらく軍属=民間人)
弱者に残虐性を発揮する民族性で、日本軍に隠れて捕虜の虐待を行なっていた。

(クリックすると拡大します↓)
asahi.jpg


(4)「弱者に残虐性を発揮する民族性」で具体例をみてみましょう



[1]元寇(保管庫より抜粋)

1. 高麗の王、忠烈王「日本は、モンゴル皇帝様に服属していません。
 だから、戦艦を作って日本を侵略しましょう」と日本侵略を進言
高麗史の元宗十三年(1272年)三月の条

↓
1274年、高麗は自ら、日本を侵略するために、戦費全額を高麗が負担、軍船900隻建造し、
2万人の高麗軍によって、日本の対馬・壱岐に上陸し残虐な殺戮を行った。
↓
1274年10月5日、対馬に上陸した敵兵は、住民は男はことごとく殺され、女は生きたまま手に
穴を空けられ、数珠のように繋がれ、捕虜として船に吊るされた。さらに200人の少年と少女は
高麗軍に連れ去られ、高麗王・忠烈王に献上された。
(クリックすると拡大します↓)
asahi.jpg
※Yada Issho画伯 ↓ 1274年10月14日、2万人の高麗軍は壱岐を攻める。ここでも対馬と同じく、壱岐の住民は 大部分が斬殺され、対馬と同様に、婦女子は手に穴をあけられ船に吊るされたという。 壱岐の守護代 平景隆は約100騎と義勇軍で奮戦力及ばず、一門一党残らず自殺、 宗三郎に急を太宰府に報じるよう命じた。





[2]明から清に事大(17世紀)

明から清に主人を替えた後の朝鮮人はじつにおとなしく、清の軍隊召集に 馳せ参じ、2回の羅禅(ロシア)遠征と明の征伐に従軍した。 父として明を敬っていたはずなのに、新しい父を迎えた途端、明に対して 残酷無情な態度を取った。 3回にわたる明征伐では、朝鮮軍は満州人を驚嘆させるほど明人を虐殺した。 満州八旗軍はかなり軍紀正しい軍隊であったが、盟友のモンゴル八旗軍の朝鮮蹂躙には、かなり悩まされていた。
しかし、朝鮮軍が満州人の軍門に下り清軍に召集されると、今度は朝鮮軍が 旧宗主国の明征伐を通して漢人への凄まじい虐殺と略奪を行ったのだ。 清の将軍である龍骨大が率いた、明征伐についての朝鮮兵行状の記録には 次のようなものがある。
韓兵ことに虐殺を極めたり。漢民号呼して曰く、天朝、朝鮮において何の 仇があろうか。その恩に背いて、ここに至るかと…

恒屋益服著「朝鮮開化史」博文館、明治34年




[3]戦後「戦勝国民」と嘯いて、不法行為を行う不逞韓国人(朝鮮人)

当時、神戸のブラックマーケットではいわゆる"第三国人"と呼ばれていた中国人や朝鮮人が
幅をきかせていた。「戦勝国民」という腕章をして、暴れ放題… 』

「中内功の限りなき挑戦」 大下栄治著 講談社発行 
http://mirror.jijisama.org/sangokuzin.htm