「日本の神社、韓半島に由来」したニダ丶`∀´>
(1)[韓国]「日本の神社、韓半島に由来」韓日史学者共同研究(中央日報)2006.01.02 18:15:31
日本国内の相当数の神社が古代韓半島から直接的な影響を受けて建てられた、という調査結果が出された。 また、日本の多くの神社は韓半島の祖神を祭神としていることが分かった。 シン・ジョンウォン韓国学中央研究院教授ら韓国・日本の史学者4人は昨年、東京、埼玉、神奈川など関東地方と京都の神社50カ所余を訪問し、こうした事実を確認したと、2日、明らかにした。 これら史学者が最近発刊した研究所「韓国の祖神を祭る日本の神社」によると、古代韓半島からの渡来人は日本に定着した後、故郷の慣習にならって祭壇を建て、祖神と豊年を祈願する祭事を定期的に行ったという。このため、韓半島系統の神社が日本に数多く生じることになった。 西暦927年に完成した日本古代律令集「延喜式」(全50巻)の神名帳(9‐10巻)には、当時の全国2861の主要神社と祭神が記録されており、このうち相当数が韓半島から渡来した神社と推定された。 ◇代表的な事例=埼玉県の「高麗(こま)神社」はすぐに韓半島系統の神社であることが確認できる。古代日本で「高句麗(コグリョ)」を「高麗」と表記し、「こま」と読んだからだ。特に、この神社がある埼玉県日高市は、西暦716年、高句麗系の渡来人によって高麗郡が設置された所だ。 大阪の飛鳥戸神社は、百済(ぺクジェ)系の飛鳥戸造一族の祖神「飛鳥大神」を祭っている。 「飛鳥大神」は百済の崑枝王だ。 四国地方の徳鳥県には「新羅神社」がある。この神社は扁額に新羅の日本式発音「しらぎ」ではなく「しんら神社」と明記されている。 現地の人はこれを「しんら神社」と呼んでいる。特に、この神社は代表的な新羅の神であり「牛頭天皇」で知られる素盞烏尊という神を祭っている。 東京浅草にある浅草神社も、すぐ隣にある浅草寺を創建した韓半島系渡来人、桧前浜成の氏族3人を祭るために建てられたという。 研究陣はまた、温泉休養地の箱根にある箱根神社も、近隣の相模国に定着した高句麗出身の渡来人が創建したと推定した。 |
(# ´∀`)「新年から日本人を不快にさせる記事だな。しかし,神社は約80000社もあるのだけど50カ所しか調べていないは,意図的に半島由来の人を神としてが祭ってある神社しか回っていないのでは?そして,日本人の学者の名前がでてないとこからしてなんかうさんくさいぞ,」
(2)高麗神社の駐車場に飾ってある木の棒
- 【高麗神社の歴史】
http://www4.ocn.ne.jp/~fkoma/newpage1.html
第1駐車場内の将軍標(しょうぐんひょう・チャンスン)チャンスンは朝鮮半島の古い風習で、村の入り口に魔除けのために建てられた。将軍標は平成4年に大韓民国民団埼玉県本部によって奉納された。写真は現在再興が進んでいる新しいチャンスンです。
(クリックすると大きく表示されます↓)
( ´∀`)「なんだこのトーテムポール。とても日本の神社に合わないw」
(3)さらに高麗神社の歴史にはこんな話がある。
http://travel2.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1133080679/11
>6
民団寄贈の天下大将軍と地下女将軍が立っている場所にはもとは公衆便所があった。
>7
駅前のは西武鉄道が観光用に立てたもので、結構古くからある。
>9
普通の社殿。祭礼等にも朝鮮的な要素はない。
高麗神社(と隣接する聖天院)の羽振りが良くなったのはここ十年ほどの話。朝鮮半島とのつながりをやたらに強調して一般の韓国人や在日から金を集めるようになってから(北・総連との関係は全く持っていない)。戦前は李王家の参拝はあったものの、一般の朝鮮人から信仰を集めることは少なかった。
常日頃「日帝時代に神社参拝を強制された」と主張する韓国人であるが、現在この神社には本国・在日を問わず熱心に参拝している。 今になって「在日韓国人の心のよりどころ」が神社になっているというなんとなく不思議な状況にある。
高麗神社の神主高麗家は維新後の神仏分離までは山伏。社格が低かったこともあり高麗家の生活は苦しく、 昭和三十年代まで神社裏の住宅(今は文化財になっているが一般的な農家)に住み、農業と養蚕で生計を立てていた。
( ´∀`)「便所ですかw」