[韓国情報]植民支配時代の白衣民族抹殺政策示す1930年代の写真を発見したニダ!

boutarou2005-08-10


植民支配時代の白衣民族抹殺政策示す1930年代の写真を発見(中央日報)



 日本による植民支配時代(1910〜1945)、韓民族に白い服を着せないための キャンペーンが繰り広げられていたことを示す写真が公開された。
 色付きの服を着るよう強いて「白衣民族」の精気を抹殺しようとする政策が、写真を通じて確認されたのは初めて。 写真研究家・鄭成吉(チョン・ソンギル、65)氏は、9日「釜山東莱(プサン・トンレ)地域で1932年ごろ行われた 『白い服を脱いで、色付きの服を着よう』というスローガンのキャンペーンの写真を発見した」と伝えた。


 写真は、日本人や親日派、動員された学生とみられる数十人が、 「白衣退散」、「色服奨励」(白い服を脱ぎ、色付きの服を着るよう勧めよう、との意) とのスローガンが記されたものを掲げて、記念撮影したもの。 また、後ろには「色服奨励」と記した旗が見える。


約20年間、朝鮮(1392〜1910)末期の写真を収集し「写真で見た韓国100年史」を出版した鄭氏「様々な情況・証言から考えて、この写真は、 白衣民族の象徴である白い服の代わりに、 色付きの服を着せるため行った大々的なキャンペーンの風景」だと説明した。 鄭氏は7〜8年前ごろ、名古屋の古本屋で、韓国関連の写真がたくさん掲載されている 「産業奨励」という本の中から、この写真とともに約200枚の写真を撮影した。



( ´∀` )「...日帝朝鮮半島を搾取したとよくいいますけど,この写真をみると電柱があって、良い建物が立ってて、良い服着てますね。」


∩#`Д´>'')「白い服は白衣民族の象徴ニダ!」


( ´∀` )「白衣民族の象徴である白い服?15世紀末から16世紀前半の宮廷女官を舞台にした『チャングムの誓い』というドラマ。あの歴史ドラマじゃ色つき衣装ばっかのくせに...大嘘ってことになるよね。w」



∩#`Д´>'')「日帝とその手先であるイルパ(親日派)が「白衣退散」、「色服奨励」政策を押し進めて「白衣文化」を不当に抹殺しようとした証拠ニダ!」


( ´∀` )「このキャンペーンが朝鮮総督府による政策であると仮定したとしましょう。そもそも朝鮮の身分制度において白い服って...」

朝鮮の身分制度

(1)両班…説明不要。時代が下るにつれて名前だけの「両班」が恐ろしく増殖。
(2)中人…役人や両班庶子など。
(3)胥吏…下級官吏、世襲の賤民とも言える。
(4)常民…一般人 。普通の庶民で 農業、工業、商業を営むもの 学ぶことは禁止で科挙の受験資格がありませんでした。 漢城内での夜間外出は禁じられ違反すると厳罰がありました。 衣服も白のみで 家屋は門を作ることが禁止、
(5)賤民…白丁・芸人(芸だけでなく、文字通りゲイも…)・巫覡・仏教僧尼(儒教社会だからね) ・喪輿軍(葬儀関係)・妓生(公的な婢。公的な売春が有名だが、歌舞音曲、針線婢・医女等々)・奴婢(公私の奴隷)



( ´∀` )「このように,常民や白丁など身分の低い者が着るものでしたね。この記者は身分社会に戻せという差別主義者ですね。」


∩#`Д´>'')「1932年ごろ行われた 『白い服を脱いで、色付きの服を着よう』というスローガンのキャンペーンの写真ニダ!」


( ´∀` )「ほう,1932年(昭和7年)ごろの写真なのですね。」

昭和14年度(1939年) 満鮮修学旅行記 文科四年
どこの家でも真白な洗濯物がひつかけてある。鮮人は洗濯が好きで小さい水溜りでも見つければするといふ。白い衣服は夏は殊に見る眼に快い。そしてその丸味のある単調なふくらみ は茅葺の屋根の線にも共通にあるものだ。木の育ちかけた山にも女の顔にもそれはみつけら れる。朝鮮のもつ一つの感じであり、自然と人との融合の、知らぬ間に微妙になされてゐる のが何となく心を温めほゝゑました。


日帝時代の日常の1コマ。



( ´∀` )「あれ,1939年に白い服を洗濯している様子が見られますけどw」


∩#`Д´>'')「名古屋の古本屋で、韓国関連の写真がたくさん掲載されている 「産業奨励」という本の中から、この写真とともに約200枚の写真を撮影したニダ!」


( ´∀` )「あの,『産業奨励』という意図があるということは,色つきの染物とかそっちを買ってもらおうと言う商売上のスローガンではないですか?朝鮮総督府が指導したわけではなく、 改名同様、自発的な運動だったのでは…。それに,この「写真」は鄭成吉氏が撮影したものではなく,単に複写しただけであり,オリジナルの「写真」が「産業奨励」という本に載っていたということは、オリジナルの「写真説明」もその本に載っているはずですよ。その写真説明を記事に書かないで,写真だけ切り出して都合のいい解釈。典型的ですねw」

【「日帝69年」の罪】


★日本が朝鮮にマッチを持ち込み普及させた。これによって 朝鮮の火災が増え、罪の無い人々が焼死した。
★日本が「円」を持ち込んだ。それまでは買い物をするときには貨幣の運搬のために馬と馬子を雇っていた。
「円」や「ドル」が通用するようになって馬子が失業した。これが現在なら 当然 失業補償をすべきである。
(一ドルが穴あき銭3200枚と交換されていた。鹿の角は高価で一対40ドルから60ドルていど。)
★日本人はソウルに 二階以上の建物を建てた。それによって ソウルの見晴らしが悪くなった。
★ソウルに大学を創った。現在の韓国の学歴偏重の弊害の原点はここにある。
★朝鮮に道路や橋を整備し侵略を容易にするとともに「風水」を壊した。
★日本人は衣服に色をつけることを教え、朝鮮の白衣文化を奪った。<丶`∀´>
★日本は政府に圧力をかけ睾丸の腐割を禁止させ、性転換の自由を奪った。
★初潮前の少女を妓生とすることを禁じロリコンの楽しみを奪った。
寡婦の再婚を許可し不倫を横行させた。
★病気の治療のための呪詛を禁止し、宗教の自由を奪った。
★再就職の難しい宦官を失業させた。(当時はおかまバーも失業保険も無かった。)
(「男寺党」と呼ばれる男ばかりの芸能集団が有ったが、年寄りは就職できない。)
★白丁(被差別者)に笠をかぶせることを禁じ、笠屋の利益が減少した。
★奴婢の解放により 両班に反感をもたせた。
★女性にも名をつけることを奨め儒教の教えを蔑ろにした。
★近代的デモを教え、それまでの「殺人契」「香徒契」のような
両班に対する 財産の奪取、婦女子の強姦の楽しみを無くした。(日本が侵略する以前は三・一デモのようなものは無かった。)
★皮革産業を普及させ動物を虐待した。
ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、、、