[韓国情報]忘恩の国から〜2005春

boutarou2005-05-24



 今回は,韓国の「恩を仇で返す」という話についてです。



 まずは,5月16日付けの現代(Hyundai)車の米国の記事の一節。


Upstart Hyundai guns for Big Three(ビッグスリーへの成金のようなヒュンダイ銃)




Snubbing Toyota, Daimlerトヨタダイムラーの鼻をへし折ります。

 Hyundai may have cut its teeth on U.S. and Japanese technology, but it isn't taking lessons from anyone these days.

  Earlier this year, Toyota executives proposed mutual plant visits to gauge each other's capabilities. They invited Hyundai to visit a Japanese plant rarely seen by outsiders in exchange for permission to visit Hyundai's gigantic Ulsan plant in Korea. But the Koreans snubbed them.

 Hyundai also ended its equity relationship with DaimlerChrysler AG last year, saying it did not need the partnership.

 German executives at DaimlerChrysler, which was forging an Asian alliance with Hyundai and Mitsubishi Motors Corp., recalled tense moments when the Koreans grew sharp with Japanese colleagues. But ultimately, the relationship between DaimlerChrysler and Mitsubishi soured, too.

 Hyundai executives say they are wary of cooperative agreements because they don't see the benefit.

"Korean labor costs are lower than German, American or Japanese labor costs. So if we work together on projects, our costs go up," Lee said.
 ヒュンダイは米国の歯と日本の技術を切ったかもしれませんが、それは最近、だれからもレッスンを受けていません。

 今年の初めに、トヨタの幹部社員は、互いの能力を測るために互いのプラント訪問を提案しました。 彼らは、ヒュンダイが韓国でヒュンダイの巨大な蔚山工場を訪問する許可と引き換えにめったに部外者によって見られなかった日本の工場を訪問するように誘いました。 しかし、韓国人は彼らの鼻をへし折りました。

 また、ヒュンダイは昨年、ダイムラー・クライスラーとの株式関係を終わらせて、パートナーシップを必要としなかったと言いました。

 ダイムラークライスラーのドイツ人の幹部社員は韓国人が日本人の同僚に鋭くなった緊張する一瞬を思い出しました。(ダイムラークライスラーは、ヒュンダイ三菱自動車工業社とのアジアの提携を結んでいました)。 しかし、また、結局、ダイムラークライスラーと三菱との関係は気むずかしくなりました。

 ヒュンダイの幹部社員は、利益を見ないので彼らが協力的な協定を用心深いと言います。

「韓国の労働コストはドイツの、または、アメリカの、または、日本の労働コストより低いです。」 「したがって、私たちがプロジェクトに一緒に取り組むなら、私たちのコストは上がります。」と、リーは言いました。




( ´∀`)「昔はアメリカや日本から学んでいたけど,今は独立してやっていますか。

 ドイツ人も韓国の裏切りの習性を理解してもらえ方かね。








そういえば,こんな話があったな。









本田宗一郎(1906-1991)氏 の言葉
かつて、本田技研の創業者、本田宗一郎氏が技術支援の為に、台湾と韓国へ技術支援に行きました。
しばらくして台湾から、

「日本と同じものが作れるようになりました。是非見に来てください!」

と連絡が入りました。

そしてしばらくして韓国からも連絡が。

<*`∀´>「日本と同じものが作れるようになりました。もう来なくてもいいです。

そして韓国は本田とのライセンス契約を一方的に解消し、エンジンからデザインまで全くのコピー品を”韓国ブランド”として販売を始めました。

本田宗一郎氏は大変失望してこう話したそうです。

韓国とは絶対に関わるな





( ´∀`)「だいたい20年以上前の話だよね。今も韓国人は忘恩の国だね。 」








それどころじゃない60年前もそうだったのだ。





「韓国のイメージ」鄭大均 より
彼らは闇市を掌握して巨大な利益をあげ、徒党を組んでは瓦礫と焦土の神戸の街を闊歩していた。
通りすがりの通行人の目つきが気に入らぬといっては難くせをつけ、無銭飲食をし、白昼の路上で婦女子にいたずらをする。

善良な市民は恐怖のドン底に叩き込まれた。

こうした不良分子は旧日本軍の陸海軍の飛行服を好んで身につけていた。

袖に腕章をつけ、半長靴をはき、純白の絹のマフラーを首にまきつけ、肩で風を切って街をのし歩いた。

腰には拳銃をさげ、白い包帯を巻きつけた鉄パイプの凶器をひっさげた彼らの略奪、暴行には目にあまるものがあった。

警官が駆けつけても手も足もでない。

<*`∀´>「おれたちは戦勝国民だ。敗戦国の日本人がなにをいうか」。


警官は小突きまわされ、サーベルはへシ曲げられ、街は暴漢の跳梁に無警察状態だ。





 


詳しくはこちら→アジアの真実さん戦後朝鮮人は何をしたのか