Ver.4.1


(1)[韓国]先程、優秀な韓国人が全く答えられなかった質問です。(ENJOY Korea )

先程、優秀な韓国人が全く答えられなかった質問です。

日帝時代に済南で、韓国人が中国人に虐殺されました。

同じ頃、通州でも韓国人が中国人に虐殺されました。

朝鮮戦争の際、中国共産党の人民軍に韓国人が450万も虐殺されました。

何故、日本に対しては被害を捏造、水増しして謝罪と賠償を求めるのに、中国には謝罪と賠償を求めないのですか?

韓国人は中国の属国であることが遺伝子レベルで染み付いているのですか?

韓国人は朝鮮戦争の時に中国人民軍に何万人殺されたのか知らないのですか?

私の最大の疑問です。



( ´∀`)「ものすごい火病がみれますよw」

(3)[韓国]アリランを歌え!! (ENJOY Korea)


金尚弼きんしょうひつ(結城尚弼)
大正9年平安南道生まれ(現在は北朝鮮
昭和18年7月私立延禧専門学校卒業(京城
9月大刀洗陸軍飛行学校隈之庄分校 特別操縦見習士官一期生として私立延禧専門学校初の合格者となる。
操縦は同期でトップ、柔道三段、剣道は突きが得意
のちに満州・綏中第23教育飛行隊配属
その後、満州敦化飛行隊配属、
昭和20年2月11日満州新京で編成された特攻隊に志願。
昭和20年4月3日 宮崎県新田原基地より第5編隊長として沖縄西方洋上に出撃 戦死 24歳 2階級特進で大尉
エピソード
 休暇で朝鮮に帰った折、母校の私立延禧専門学校を訪問。その時の校長であった辛島驍氏の勧めで学生の前にたった金は、多くを語らず「俺についてこい」と言うなり、上着を脱いで、坂や林のある二十万坪の校庭を約一時間にわたって走り続けました。在校生だけではなく教職員も一緒になって彼の後に続きました。これが契機となって、校内にはやればできるのだという気概がみなぎり、志気も大いに盛り上がっていきました。
 満州綏中第23教育飛行隊配属に配属されている時の事です。隊内の演芸会で「私は朝鮮出身です。少しアクセントが違いますが、日本の歌を歌います」と言うと、隊員からアリランを歌え」「そうだ、そうだ、アリランを聞かせてくれ」との声があがりました。金が「では母国の朝鮮語で歌います」と言って歌い、歌い終わると、拍手喝采の嵐が起こったといいます。
 その後、満州の敦化の飛行隊に移り、昭和二十年二月十一日、満州・新京の第二飛行軍で二つの飛行隊が編成された時特攻隊に志願し、誠第三二飛行隊に配属されました。恐らく家族とはこれが最後の別れになると思った金は、二月二十五日、平壌の三根旅館で日本軍将校になることを反対していた兄・金尚烈と会いました。
 兄から逃亡するよう懸命な説得を受けましたが、
 「自分は朝鮮を代表している。逃げたりしたら、祖国が笑われる。多くの同胞が、一層の屈辱に耐えねばならなくなる」
 「僕は日本人になりきって日本のために死のうとしているのではありません。そこをよく解って欲しいのです。お父さんとお兄さん、この二人の意志を継ぐために、日本を勝利に導いて、その暁に我々の武勲を認めさせて独立にもってゆくことなのです。大東亜共栄圏として、ビルマインドネシア、朝鮮、みな独立の道があるはずです。日本が強くなればなるほど、地下の独立運動は無力となりますから、それより日本に協力して独立を勝ち取る、その方が確かだと思うのです。
 日本人が憎くない、というとそれは嘘になりますが、僕は少年飛行兵出身の部下を連れてゆきますし、今日一緒に来てもらった佐藤曹長からは、親身の整備をしてもらいました。戦友や部下たちとは、一心同体であり、民族のしこりや壁はありません。・・・・・・
 民族の魂は売り渡していません。朝鮮の魂で頑張ってきました。僕の考えはきっと御先祖様も許して下さると思うのです
」。
 それから一カ月余を経た四月三日、金は第五編隊長として小林勇第二編隊長と共に宮崎県の新田原基地より第5編隊長として沖縄西方洋上に出撃。圧倒的な数の米軍戦闘機と、艦隊からの対空砲火網の中沖縄西方洋上の艦船軍に突入。24歳の若さでその生涯を閉じました。2階級特進で大尉



( ´∀`)「いい話ではないですか。今日の韓国では,このような人を親日派として断罪します。愚かですよね。ENJOY KoreaのIDを持っている方は,是非推薦に投票してください。w」

(4)[韓国]萬物相 「韓米が戦えばどちらの肩を持つのか?」(朝鮮日報 )

1941年、日本が真珠湾を攻撃した翌日朝、ロサンジェルスタイムズは、カリフォルニアを「危険地域」と警告した。
「われわれの周りに数千人の日本人が住んでいる。善い米国市民もいるが、日本の武力の役割を担った裏切り者もいる」というものだった。あるコラムニストは、「日本人を隔離収容した後、100人ずつ選んで、銃殺しよう」と主張した。


翌年、米政府は日本人12万人を砂漠地帯の10か所の収容所に連れて行って3年間監禁した。このうち市民権者、すなわち米国国民が3分の2を占めた。


◆日系市民である「二世」たちは、「こういうときこそ、真の米国市民であることを証明する」と自ら戦闘に参加した。1943 年、ニ世だけで442連帯が創設されて、ヨーロッパの最前線に投入された。この兵士たちは、粗末な兵器と補給、日本軍に間違えられて連合軍に攻撃されるなど、悪戦苦闘したものの、収容所の家族を思い浮かべながら奮闘した。二世部隊はもっとも多くの犠牲者を出して、最大の戦果を上げた。韓国人戦争英雄のキム・ヨンオクさんが率いた部隊は、その442連隊100大隊だった。


◆二世の強制収容は、排他的かつ盲目的な愛国心、つまりジンゴイスム(jingoism)の典型だ。米国政府はその40年後、「戦争の中で、私たちが犯した最悪の間違い」とし、謝罪して補償した。「韓国と米国が戦争をすれば、どちらの肩を持つのか」米国の移民局の面接官たちが、市民権を申請した韓国人とのインタビューで投げかけた質問をめぐって、米国在住の韓国人たちが当惑しているといわれる。二世に対する昔のジンゴイスムが復活したかような気持ちだ。


ある米国在住韓国人は、この質問に対して、「韓国に家族がいるので答えられない」と答えたという。面接官が答えを促すと、彼は「移民局の予想問題集には、そういう質問はなかった。必ず答えなければならないのか」と問い返した。 面接官は「必ず答えを聞きたい。さもなければ市民権審査を拒否する」と脅迫した。こうした事件が繰り返されるや、ロサンジェルスの韓国人タウンの各教育施設では、市民権講座で「米国のために闘う」を正解として教えているという。


◆ 9.11テロは、米国の反移民者感情に火をつけた。すべての社会保障のメリットを市民権者に限って与えることを柱とする法案まで上程された。それにしても、戦争が勃発した場合、どちらの肩を持つのかという質問は、米国の市民権を希望する人の自尊心に傷をつける虐待にほかならない。逆に面接官に「父と母が喧嘩をする場合、誰の肩を持つのか」と聞きたい。移民局が「不適切な質問で、韓国人社会に苦痛を与えた」と謝罪しはしたものの、いくらなんでも仮想の質問とはいえ、「韓・米戦争」まで取り上げられる事態に至ったことについて、懸念を抱かざるを得ない。

  • 【関連】

【朝鮮日報】 萬物相 「韓米が戦えばどちらの肩を持つのか?」 [12/11](2ch) 

  • ENJOY Koreaに投下

http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=teconomy&nid=1852220



( ´∀`)「これがウリナラクオリティ」

参政権は永住者に得になるが、私はあえて反対だ」と訴えた。「韓国人の参政権要求は日本へのルサンチマン(恨み)だ。一世の恨みを二世、 三世に刷り込んで、彼らは日本で本当に幸せに暮らせるのか。


日本と運命をともにしたい人が国籍を取り、参政権をもつべきだ」とし、「日本人は参政権を、あまりに軽視している。この問題を通じて、日本人こそ日本とは何かを真剣に考えるべきだ」と提案した。


日本と台湾の間で、もし戦争が起きるようであれば、私は台湾人として行動するから、日本の公務員になることも、統治にかかわる参政権を求める気もない


日本で生まれた2人の子どもは、一人前の大人になった時点で、彼らの自由意志によって日本国籍を選択し、これを取得した。彼らが名実ともに日本人に、それも立派な日本人になることを私は願っている。


 私は自分の自由意志で台湾国籍を堅持している。だから、参政権を求めないことが、主権国家日本に対する礼儀であり、敬意の表しかただと思う。


私にとってこれは倫理の問題である。
http://www.geocities.jp/kinbirei/



( ´∀`)「こちらが台湾クオリティ。ずいぶん違いますね。」


人気blogランキングへ (*゜д゜)